バレンタインデー

今年もやってきましたね、この日が。

若人たちはキャッキャウフフなのか阿鼻叫喚なのか、まぁ楽しんで下さい。

私自身はあまり良い思い出などなく。差し上げる方の性別でも、この日についての良し悪しはあるもんです。

具体的には…ま、「報われなかった」ということで。

たまに報われても持続しなかったり。いえ、持続していたとしてもこの日に幸せラヴラヴって記憶があまりないんです。だから毎年「ふーん」て感じ。一応、既製品くらいは用意してますが。

 

それぞれの意味づけでいいんじゃないかな、バレンタインデー。

もちろん「愛を告白する日」でもいいですし、「一年に一度高級チョコを食らう日」でもいい。「チョコレート系のお菓子を作る日」でもいいし、さっぱり割り切って「周りにばら撒き処世術を駆使する日」でも。

ばら撒くといえば、今年はGODIVAの「義理チョコやめよう」広告が話題でした。(ちなみに私はこのメーカーのチョコは食したことがございません。是非機会があれば食べたい)

このメーカーの言わんとすることはすごくわかる。だから嫌なら、義理が嫌なら止める方向に向かうのも一考。

でも考えようによっては「チョコ一つで好感度がアップするなら安いモンよ」と肉食サバイバルモードで逞しく世渡りする考えも有りだと私は思います。

もちろん、人間関係はそう単純ならざるものだという前提は甘受したうえで。

そうね、そういう開き直りや逞しさがないと、いつも都合の良い被害者意識に流れちゃいそうで怖いかな。自分も含めて。

だって、過去にはこのイベントを楽しんだり利用したりしたことが少なからず誰にでもあったはず(なかったらごめんなさい)。なのに、その時々の立場や環境で肯定したり否定したりするのはどうなんだろう?との思いがあります。

だからこそ。「こうあるべき論」なんかに振り回されずに、自分で定義すればいいんですよ、好き勝手に。

 

美味しいチョコを食らう日。大好きなチョコを愛でる日。(安い)チョコで人間関係を円滑にする日。(過去を振り返って)チョコを恨む日(笑)。

そして、好きな人にチョコを捧げる日。←鉄板だね。

 

(ブログ二回目で早くもネタに困るところを書きやすい日にあたって助かりました)